カルチャー
【リレーブログ】初めて遊んだテレビゲーム
2017年07月25日 谷孝大
出典元:msx.org
リレーブログを今回担当します、当社代表取締役の谷孝です。
テーマとして「初めて遊んだテレビゲーム」を頂きました。
まず最初に、私の子供時代は、ファミコン全盛期だったわけですが、我が家には、恐らく親の教育方針だったのか、ファミコン等のゲーム機はありませんでした。
友達の家に遊びにいっては、やらせてもらっていたのを良く覚えています。
そのかわり、我が家には、ゲームが出来る、ゲーム機ではないものがありました。
当時、各家電メーカーが争って出していた、統一規格の「MSX」です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/MSX
私の最初の「MSX」はSONYが出していた「HiTBiT」

人々のヒットビット、というキャッチコピーでした。

偶然にもこのブログの名前と語感が近いですね。
パソコンですが、ファミコン同様、ROMのカードリッジでゲームが出されていて、
スロットに入れることによりゲームが出来ました。
小学生の私にとっては、パソコンというものがよくわからず、これを「テレビゲーム機」として当初認識していたわけです。
そして最初に遊んだゲーム、これは恐らく本体におまけについてたものだと思うのですが
船で敵をよけながら川を上がっていく、という単純なゲームだったのも覚えています。
スペースキーしか使わなかったような操作と、
そのゲーム画面はかなり強烈に覚えてるんですが、さすがにタイトルもメーカーも思い出せない。。
しかし今は当時と違って、インターネットの時代。
Googleさんに聞きまして、簡単に出てきました。
こちらです。
「ターボート」

もうちょっとカラフルな画面だったような気もするのですが。。
さてここから余談ですが、その後MSXでも、ドラクエや、信長の野望など
ファミコンで有名だったゲームは一通り発売されて、そちらでやっていました。
そしてある日、ゲームカセットをいれずに「MSX」の電源をいれると立ち上がったのが、青色バックのBASIC画面。
ここから私は小学生時代に、プログラミングというものを知り
雑誌を買ってきてはそこに載っているプログラムを打ち込んでゲームを作り
ちょっとずつ先輩プログラマーのコードを変えながらBASICを覚え、
いつのもまにか自分でゲームを作って雑誌に投稿をする小学生になっていました。
この体験が、まわりまわって、当社を創業することにもつながっています。
あの時親が、我が家にあったのがMSXではなくてファミコンだったら、今は違うことをしているのかもしれません。
次のリレーブログの担当は、弊社取締役の宮道です。
お題は「死ぬまでにやりたいこと」でお願いします。
この記事を書いた人
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谷孝大
代表取締役 (大阪本社)
代表取締役
(大阪本社)
少年時代からコンピュータに親しみ、世界中に一瞬でつながるインターネットの 可能性に魅力を感じて大学1年生の時に創業する。 国内での事業展開の他、中国、マレーシア、タイで事業を展開。8歳と1歳の2児の父親として、週末は子育てにも奮闘中。趣味はモータースポーツ観戦、映画鑑賞。公式的には断酒中。 兵庫県伊丹市出身、現在は京都市内在住の39歳。
少年時代からコンピュータに親しみ、世界中に一瞬でつながるインターネットの 可能性に魅力を感じて大学1年生の時に創業する。 国内での事業展開の他、中国、マレーシア、タイで事業を展開。8歳と1歳の2児の父親として、週末は子育てにも奮闘中。趣味はモータースポーツ観戦、映画鑑賞。公式的には断酒中。 兵庫県伊丹市出身、現在は京都市内在住の39歳。
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